日本ボーイスカウト大阪連盟 吹田第9団 ローバー隊の活動ブログです。
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HN:
ボーイスカウト吹田第9団:篠原克明
性別:
男性
趣味:
スカウト活動!
自己紹介:
このWeb内容掲載責任者
氏名:利齋俊彦
所属:日本ボーイスカウト大阪連盟
吹田第9団
氏名:利齋俊彦
所属:日本ボーイスカウト大阪連盟
吹田第9団
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第15回日本ジャンボリーが終了して、8月9日に派遣隊が吹田に戻ってきました。
日本連盟、大阪連盟、吹田地区とそれぞれが現地情報として、インターネットを通じて情報発信してくださいました。
一番よくチェックしたのが吹田地区のブログでした。
スカウトたちの元気な姿、そして行けなかった我々指導者も一体感、そして臨場感を感じ取れるものでした。
そして我がローバー隊からは大阪10隊副長補の野島君、無事帰ってきました。
お疲れさまでした。
彼はVSの時に大会本部奉仕で行ってたと思いますが、今回は派遣隊付。いい勉強になったと思います。
ぜひこれからも頑張ってほしいと思います。
下の写真3枚は野島君が送ってくれた15NJの写真です。
富士山をバックに・・・。素晴らしい眺め。
富士登山ですね。左端が野島君。右から2人目が10隊派遣隊長・村木さん(吹田第23団)
10隊の勇士たち。残念ながら9団スカウトは9隊でした・・・。
さて私がボーイ隊の時に行ったのが、第9回日本ジャンボリー。
宮城県・蔵王で行われました。吹田から約12時間くらいかかったのではないかと思います。
吹田地区は4隊出ました。隊長の名前をとって、山口隊、久野隊、田代隊、原隊。
そうです山口隊は現在の吹田地区委員長の山口茂さんです。
山口地区委員長とはそれからの腐れ縁で、シニアー隊の時の第2回ベンチャー大会にも派遣隊長で一緒に行きました。
この思い出はとにかく台風!
周辺サイトが自衛隊のトラックで避難するのを横目で見ながら、(スカウトにとっては避難したかったが・・・)我がサイトは終夜、砂袋を押さえ、水をかき出し過ごしたことを覚えています。
てかそれしか覚えていません。
これがその時のチーフ。
当時は写真も記録も少なく、ましてインターネットがなかったので、記憶があいまいです。
日本連盟、大阪連盟、吹田地区とそれぞれが現地情報として、インターネットを通じて情報発信してくださいました。
一番よくチェックしたのが吹田地区のブログでした。
スカウトたちの元気な姿、そして行けなかった我々指導者も一体感、そして臨場感を感じ取れるものでした。
そして我がローバー隊からは大阪10隊副長補の野島君、無事帰ってきました。
お疲れさまでした。
彼はVSの時に大会本部奉仕で行ってたと思いますが、今回は派遣隊付。いい勉強になったと思います。
ぜひこれからも頑張ってほしいと思います。
下の写真3枚は野島君が送ってくれた15NJの写真です。
富士山をバックに・・・。素晴らしい眺め。
富士登山ですね。左端が野島君。右から2人目が10隊派遣隊長・村木さん(吹田第23団)
10隊の勇士たち。残念ながら9団スカウトは9隊でした・・・。
さて私がボーイ隊の時に行ったのが、第9回日本ジャンボリー。
宮城県・蔵王で行われました。吹田から約12時間くらいかかったのではないかと思います。
吹田地区は4隊出ました。隊長の名前をとって、山口隊、久野隊、田代隊、原隊。
そうです山口隊は現在の吹田地区委員長の山口茂さんです。
山口地区委員長とはそれからの腐れ縁で、シニアー隊の時の第2回ベンチャー大会にも派遣隊長で一緒に行きました。
この思い出はとにかく台風!
周辺サイトが自衛隊のトラックで避難するのを横目で見ながら、(スカウトにとっては避難したかったが・・・)我がサイトは終夜、砂袋を押さえ、水をかき出し過ごしたことを覚えています。
てかそれしか覚えていません。
これがその時のチーフ。
当時は写真も記録も少なく、ましてインターネットがなかったので、記憶があいまいです。
「カールじいさんの空飛ぶ家」のDVDを借りました。人気のあるディズニー映画ということなのですが、家内と息子が最初に見ました。しばらくして家内が「あなた、この映画好きだと思うよ」というので、意味がわからなかったのですが見てみると、主人公と一緒に旅する少年ラッセル。ラッセルの設定はどうみてもボーイスカウトのような気が・・・。 息子に、私の子ども時代のたすき(技能章20個くらいついている)とオレンジ色の記念チーフをあげました。喜んでました・・・。この意味は(機会があったら)見てください。豆知識でもなんでもないですね。
上の写真は9団のネッカチーフです。左右の違いがわかりますか?
左は私が子どもの頃のチーフ、つまり25年ほど前のものです。
右が現在。
色あせがありますが、現在は「SUITA9」というロゴが入っています。
それと素材がよくなっています。
もうひとつ大きな違いが。
それは・・・
大きさなんです。子ども用と大人用に分かれていたわけではありません。
みんな同じものを使用していました。
下が現在のものです。
そうそうこの写真のネッカチーフしわだらけですが、こんな折り方はだめですよ。
巻いて見えるところの三角(頂点)にしわが入らないように折るんです。
表現しにくいのでまた聞いてください。
それよりもネッカチーフのデザインがこうなっている理由ご存知ですか?
子どもの頃、上進式後には必ずこの話を聞かされました。
ということは、最低4回は聞いています。もちろん事あるごとに聞いていますので、何十回と聞かされました。
ボーイ隊長になったときも努めてこの話をしているのですが、なかなか覚えてもらえません。
現在いるリーダーも知らない方もいらっしゃると思いますので、あえて50周年記念誌にも浦先生自らが書かれた文章を再録いたしました。
歴史を知ることは大事なことだと思います。
もう一度その文章を・・・
昭和35年7月準備隊が発足したがまだ制服も無く私服にスカイブルーのチーフを着けて吹田スカウト大会に参加・・・。高浜神社に集合 吹田駅前道りを行進した。チーフの色は当時としては人目をひき鮮かな色で随分遠くからでも識別できたすばらしい色でした。その色は千里山教会の友人日東紡に勤めていた遠藤氏のすすめによるものだった。すぐに日焼けして白くなった。各社開発研究中との事で試作中の布で薄いものや厚いもの色々たくさんの寄贈をしてくれて班旗等に利用された。数年後に今のように白線の入ったチーフを団委員の林先生がデザインしてくださった。当時は千三小や千新小もなく全員千二小学校区だったので千二の文字をアレンジして白線を縫い込んだ。背中には千二の文字で前から見るとスカイブルーと白線がみごと調和し他の団にもひけをとらない立派なネッカチーフとなりました。
平成元年1月14日発行 「ダッシュ9 第15号」より再録
(表現やかなづかいは当時のものをそのまま採用しています。)